タグ:R.I.P. ( 9 ) タグの人気記事
9月に入って【更新滞り、スミマセン】
8月24日にジャズ・ギタリストのジョン・アバークロンビー氏死去の知らせがもたらされた。
未明に何気にツイッターを眺めていて(ジャック・デジョネットのツイートから)の不意の知らせ。
22日、ニューヨークにて心不全で病死とのこと。享年72歳。

青年期から永く聴き続け、自分の音楽観の根幹にあったミュージシャンの逝去。72歳、早すぎる。

こういった知らせはボディーブローのように効いてくるのだろうなと思いつつ、
日々忙しさにかまけてついつい時間が経っていった。

仕事中はもっぱらアバークロンビーのCDをかけ、でなければYouTubeで彼の教則の動画などを
エンドレスでかけていた。このところ仕事が忙しいのが幸いしてか、気分が紛れている。

昨夜丑三つ時、なぜかバチッと目が覚めてしまい、寝つかれず何気にツイッターを眺め見ていると、
スティーリー・ダンのウォルター・ベッカー氏の訃報を目にしてしまった。享年67歳。さらに巨星墜つ。

しばらく喪に服す日々かと・・・





8月のまとめ
休肝日=15日、ほぼ隔日。ペース変わらず、夏なのにビールも飲まず日本酒だけ。
しかし、酒量を維持するのにかなり意志力がいるようになっているかも。注意が必要。

ランニング総距離は121.29km、24ヶ月連続で100km越え。ちょうど手術(一昨年の7月)後の9月から越え続けている。
何かご褒美があるというわけでもないが、仕事だと思って続けている。夏は無理せず、LSDジョグを続けた。

サイクリングは4回で402.26km、後半の天候不順で伸びず。獲得標高合計は5000mくらいで大したことはない。
後半2週は脚が鈍らないようにいつもの尾根幹コース、いつになくタイムがいい。
おそらくは暑い中でのLSDジョグが奏効したものかと。意外と心拍機能が向上している。

仕事でこもりがちなこともあって、体重の減少傾向が今ひとつ。9月は頑張って燃やしたいところ。





8月28日(月)には武蔵野赤十字病院循環器科の検診。
以前にも述べたが、このたびめでたく(?)日赤卒業とあいなる。
日赤はいわゆる「逆紹介」キャンペーンみたいで、
私のような病状の比較的安定した患者は地域のかかりつけ医に託される。
逆紹介先の先生は当方の希望していた地域のクリニックの先生で、健康診査などでもお世話になっているかた。
「(お宛名)御侍史(おんじし)」なる逆紹介状(この中身も入試用の推薦状みたいで気になるのだが)も
用意してもらい、2ヶ月後からそちらでご厄介に。
抗不整脈剤は服用せず、血液抗凝固剤のみの服用(安上がりで助かる)でしばらくいきます

by masashiw2 | 2017-09-04 23:00 | ご覧のみなさまへ | Trackback | Comments(0)
TAISHO 1923 TOKYO(〜2017)
鈴木清順監督ご逝去  謹んでご冥福をお祈り申し上げます

d0123571_22234653.jpg




d0123571_2224338.jpg
「陽炎座」(1981年群雄社出版刊)より

by masashiw2 | 2017-02-22 22:30 | 拾遺 | Trackback | Comments(0)
Room335で3rd Sessionへ 【入院1日目】 2015年7月15日
入院前日、病院からの電話連絡で、希望どうり4人部屋に入れることになった。
15日(水曜)正午に家を出て、イエノモノと歩いて病院に行く。頭の芯が痛くなるような炎天下。12:30 入院手続き。
病棟に入って、看護師さんに説明を受ける。だいたいの段取りは事前に説明されている通りで大きな変更なし。
16日の手術の順番は最初の時間帯=9時からと決定。採血された後、病室に案内される。ナースステーションの真ん前の335号室。
着替えたり、剃毛チェックやらなんやかやで15時をまわる。心電図とって、そして第一関門・経食道心臓エコー検査。

やはりつらかった。食道に挿入する太いプローブは前回から9年の歳月が流れてもあまり細くなっていなかった。
挿入後、誤って唾液が気管に入ってしまいそうで、かなりむせてしまう。口からヨダレ、眼から涙で顔じゅうベトベトになる。
先生は「コレが一番つらいから」といってくれるのだが、そうあってほしいと切に祈るのであった。
左心房の患部の確認もしっかりでき、懸念される血栓もなく問題なし。15:35 検査終了。

d0123571_2259339.jpg
16:09@病室


d0123571_22592027.jpg
16:10@病室 バツ印は脈をとる場所


d0123571_22594063.jpg
17:36@病室 蚊がいるのか、Room335


d0123571_230631.jpg
18:11@病室 麻婆なす、変わり豆腐、茎わかめのピリ辛ナムルなど

昼抜きだったので夕食=久しぶりの病院食を楽しむ。21時以降は禁飲飲食。この日は点滴なし。
水がのめないのは辛そうだが、エアコンが効いているせいかあまり気にならなかった。
申し遅れたが、病室内での通話は御法度だが病室へのスマホ持ち込みは許してもらえた(嬉)。

21時ころ、先生がお見えになり、手術直前の第二関門・尿道カテーテル挿管は、
静脈麻酔を効かせてから──ということになり、ほっと胸を撫でおろす。

報道ステーションをイヤホンで視聴、強行採決の件にむかついて気分が落ち着かない。
ナースステーションが真ん前だから、ナースコールが絶えず、最初のうちは気になって3時頃までまんじりとせず……
少し眠ったかと思ったら、7時ごろ検温で起こされた

【訃報】── 2015年7月17日
イギリスのピアニスト・ジョン・テイラー氏、死去。72歳。(7月17日って、コルトレーンの命日)
ECMに多くの録音を残した。ピーター・アースキン・トリオケニー・ウィーラーのグループでの演奏が私のお気に入りだった。
しじまのなかから情感が立ちのぼってくるような、冷たいような暖かいピアノ。

ECMのサイトに久しぶりに入ったところ、いまのところ間に合わせのHPになっていた。サイトのニュースページで
菊地雅章氏の訃報も知る。この7日にNYで亡くなっていたのか……。

両氏のご冥福を慎んでお祈り申し上げます

by masashiw2 | 2015-07-19 23:10 | 拾遺 | Trackback | Comments(0)
津久井湖から千木良(ちぎら)へ 2014年10月25日
県道515号、東光寺という寺から西は通行できない。ずいぶん昔から落石等で通行不能らしい。県道だというのに、なにかワケありかと。
相模湖手前の千木良から城山ダムまで、津久井湖左岸が通しで通過できるなら、いい湖岸道散歩ができそうな気もするのだが……。
左岸道はここまで、美しい吊り橋・名手橋(なでばし)で対岸に渡る。
アップダウンのある道志橋から桂橋を経て、千木良。帰路は大垂水峠

d0123571_22105938.jpg




d0123571_22111339.jpg




d0123571_22112323.jpg




d0123571_22113559.jpg




d0123571_2211547.jpg




d0123571_2212447.jpg

2014年10月27日
訃報 赤瀬川原平さんが亡くなられた。77歳なんてまだ若いだろう。後期高齢者なんて笑い飛ばしてほしいところだった。
「思想的変質者」なんていう、このかた独特の自由さがこれからも必要なのに。ご冥福をお祈り申し上げます。
それにしても、自分が20代の頃、影響を受けたクリエーターが鬼籍に入ることが多くなった。寂しい……

by masashiw2 | 2014-10-27 22:15 | 旅の空 | Trackback | Comments(0)
久しぶりに多摩湖自転車道-1 2014年9月12日
一週間ほど前になるが、年一回の武蔵野市の健康診査があって、昼前の予約をとっていた。
身長・体重をはじめ、血圧、心電図、血液検査、胸部レントゲン、問診、触診などしていただく前に、
少しでもウェイトを減らしておこうと思って、水も摂らずに散歩に出かけた。
この日は日中はまだ暑いくらいで、夏の日ざしを避けて、多摩湖自転車道の木蔭を伝って歩いた

d0123571_2392673.jpg




d0123571_239412.jpg




d0123571_23115096.jpg
植木畑の小径に石敢當(いしがんどう)もあったり



d0123571_23102497.jpg




d0123571_2312998.jpg

2014年9月19日
カナダ出身のトランペット、フリューゲルホルン奏者・ケニー・ウィーラー氏、死去。83歳。
ECMでの作品「Gnu High」に出会わなかったならば、私のジャズへの扉は開かれなかったかもしれない(→関連エントリ)。
謹んでご冥福をお祈りします

by masashiw2 | 2014-09-19 23:13 | 拾遺 | Trackback | Comments(0)
Rainbow 〜 R.I.P. Charlie Haden 2014年7月11日
d0123571_15114992.jpg




d0123571_1512241.jpg




d0123571_1512447.jpg




d0123571_15125756.jpg

ベース奏者・チャーリー・ヘイデン氏、11日ロサンゼルスで病死。76歳。

ヘイデンが不動のベース、キース・ジャレット・アメリカン・カルテットの76年の作品「バイアブルー」(インパルス)に、
「Rainbow」というトリオ演奏の小品がある。無伴奏のピアノで始まり、ヘイデンが寄り添ってやがてチャーミングなテーマに。
名演は数知れないヘイデンだが、この「Rainbow」では気心に知れたメンバーとのリラックスした演奏。
この曲で慎んでご冥福をお祈りします


★★★チャーリー・ヘイデン関連エントリ★★★
by masashiw2 | 2014-07-13 15:17 | 拾遺 | Trackback | Comments(4)
さらば2011年、さらば Paul Motian
新聞をとっていないからといって言い訳できないのだが、ドラマー・Paul Motian が亡くなったことになかなか気がつかなかった。
11月22日、ニューヨークの病院で病死。享年80歳。

1980年9月、ジャズを聞きかじって間もない私は、Bill Evansトリオのチケットを握りしめて、
9月24日の大阪サンケイホールのコンサートを心待ちにしていたのだった。
予定では9月20日から東京を皮切りに、千秋楽は10月3日水戸という日本ツアー、
メンバーは若きMarc Johnson(b)とJoe Labarbera(ds)。9月15日のEvansの突然の訃報はとてもショックで、
追悼番組を片端から聴いた記憶がある。
いろいろと聴いていると、どうしてもScott Lafaro(b)とPaul Motian(ds)との黄金期のトリオが気になるわけで、
クラブの片隅でこの3人が談笑している写真(1961年)など、とてもときめいて眺めていた。
ピアノとベースのインタープレイのバックで、極力手数をかけず雰囲気を支配しているMotianが気になってしかたがなかった。

ほどなく、Keith Jarrettの録音に、このドラマーの名前を見つけた。Keithのアメリカン・カルテット
このグループでもMotianの面目役如、ベースのCharlie Hadenとのマッチングは最高で、
幽玄、浮遊感、神秘性……という言葉で表現される演奏をくりひろげていた。
他方でボカスカと叩く、どこかオリエンタルで唐突な表出があったりと、油断ならない存在だった。「残氓」「心の瞳」は名演かと。

80年代にはギタリストのBill Frisellと、テナーのJoe Lovanoが中核の、最終的には変則トリオでの活動。
録音はECMやSoulnote(イタリア)から世に出ていたが、いつも茫漠たる境地・空間に引込まれるのが心地よかった。
Dewey Redmanの息子、Joshuaがグループに参加したのも興味深い(LovanoもDeweyっぽいのだが)。

晩年、スキンヘッド・丸眼鏡の“中国の不思議な役人”っぽい雰囲気を醸していたが、ボカスカも健在だった。
・・・ご冥福をお祈りします。

d0123571_1254439.jpg








d0123571_12621.jpg








d0123571_1262811.jpg

本年もご高覧有り難うございました。
2011年も暮れようとしています。忘れられない年となりました。来る2012年が穏やかな年になりますよう!


by masashiw2 | 2011-12-31 01:26 | かわうその祭 | Trackback | Comments(4)
虫干し ブレッカー兄弟に始まる
早いものでマイケル・ブレッカーが亡くなってちょうど一年、13日が祥月命日。
上の写真はインナー・ジャケットの写真。左から兄のランディ、そしてマイケル、凛々しいではありませんか!
帯のコピーが時代を感じさせます
d0123571_0133645.jpg
d0123571_0134483.jpg
今日は一日ブレッカーをかけていよう。ECMの録音が好きなのでアバクロの“Night”から始めます
by masashiw2 | 2008-01-13 00:27 | かわうその祭 | Trackback | Comments(0)
虫干し ジョー・ザヴィヌルを偲んで……
11日に亡くなったキーボード奏者ジョー・ザヴィヌルを偲んで……

Miles Davis / The Complete in a Silent Way Sessions
このボックスセット、リハーサルテイクに、〈イン・ア・サイレント・ウェイ〉の
ボサノババージョンがあって、これが至極脱力気味だが、和める
d0123571_05182.jpg
以下、ブライアン・グラサー著『ザヴィヌル』(小野木博子訳 音楽之友社 2003年刊)より——
 ジョーはこう語る。「マイルスがある朝電話をかけてきて、午後一時にレコーディングスタジオに来いと言うんだ。“わかった”とだけ答えた。その一分後にまたマイルスから電話があって、“何か曲を持ってこい”と言われたのさ」
〈イン・ア・サイレント・ウェイ〉はその数年前に冬休みを取り、オーストリアで家族とともに過ごしたときに書いた曲の一つだった。この曲を書いた時の状況を、ジョーはよく覚えていると言う。「私は子供たちを両親に預け、妻とともにホテルへ向かった。外は雪が降っていて眠れなかった。だから部屋で座っていた。どうしてだかわからないが、たぶん久しぶりにオーストリアへ戻って来て家族とひと時を過ごしたことで胸が一杯になっていたんだろう。そこで私は鉛筆と紙を取り出し、一分半であの曲を書き上げた。手が止まることはなかった。はじめから構想がはっきりと見えていた」

by masashiw2 | 2007-09-30 00:14 | かわうその祭 | Trackback | Comments(0)